限りある医療費を死に金にして良いのだろうか?

先日、知り合いの高齢の婦人がくも膜下出血で倒れられました。

発見が早く、手術を受けて、容態が安定していると聞いていました。

昨晩、容態が悪化して二度目の手術を受けたという話を聞いたときに、知り合いの元看護師の方が

「もう80代後半なのに、なんで二度目の手術をしなくちゃいけないんだろう」とおっしゃいました。

確かに、二度の脳手術が必要なのかという疑問は残ります。

私が、「家族が希望されたんじゃないですか?」と言うと、「(家族も高齢で)お金が無くて困っているからそれはないと思う。医者の判断でしょう」との事。

でも医師は何故、手術を決断したのでしょうか?目の前の老人を助けたかったから?まさかね。

ただ亡くなるまでベッドを使うよりも、手術を行った方が診療報酬の点数が高いからでしょう。

 

昨年、義理の父が入院中に脳出血を起こしました。

その時に担当の医師は、「高齢の為、手術をしても大幅な回復は見込めない。申し訳ないが、手術室とその為に必要なスタッフは別の回復の見込める患者に使わせて貰います」とはっきり言いました。

義父は90歳を超えていましたし、医者の言う事も最もだと思ったので、家族全員で同意しました。

 

それで良いんじゃないんでしょうか?それが正しい医者の姿じゃないんでしょうか??

 

限りある医療費です。使えば使っただけ国民の負担になるものです。

そうであるならば、再び回復して社会に戻っていけるような未来のある人の為に使われるべきなのでは?

 

一定の年齢を超えて、回復力が衰えた患者に対して、幾度も手術を行う事に何か意味があるのでしょうか?意識が戻る可能性すら低いのに。

手術を行えば、一週間あるいは一ヶ月寿命を延ばす可能性はあるかも知れない。でも高齢者(高齢者でなくても)が意識が戻らない状態で、何日か余分に生きたからと言って、本人も身内も喜ばないでしょう。

残るのは、その分嵩んだ医療費の請求書だけです。でも掛かった費用は死に金ですよね。

 

今、医療費の削減が声高に叫ばれているというのに、一方ではこのように必要があると思われない手術を行う医師がいる現実。

昔だったら、くも膜下出血で倒れたら、そのまま天に召されるのが普通だったでしょう。

技術が進んだから、かろうじて命を繋ぐ事が出来るようになった。

でも、それは誰にも幸福をもたらさないものではないかとこの事を通じて感じました。

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