バチカンをも揺るがせたカトリック教会の一大スキャンダルとして有名な事件、神父による児童虐待があったという事は知っていたけど、詳しい事件の内容とかは知らなかったので、是非観たいと思っていた映画でした。
くだらない事だけど、最初に驚いたのがこの映画のタイトル「スポットライト」が実はボストン・グローブ紙の連載記事コーナーの名前だったこと。それ映画のタイトルにしちゃうかな~もっと別な判りやすいタイトルがあったんじゃないのかな。もちろん暗闇に隠れていた事件にスポットライトを当てたという意味もあると思いますよ。まあ、欧米の映画って往々にしてそのタイトルじゃなくてもって言うのが多いですが。
映画の内容は、もの凄くおおざっぱにまとめると新任の編集局長の鶴の一声で、スポットライトのチームがゲーガン神父の児童虐待を記事にする事になり、この事件の影に潜むもっと大きなカトリック教会全体に潜む問題を暴き出すというもの。
映画は地道な取材の繰り返しで進む。裁判所に資料の開示を求め、いろいろな手段を使ってゲーガン神父以外に同様の児童虐待をしていた神父の名前を手に入れる。
新聞社は一見正義に見える。けれど、この事件に関わる人たちはある者は虐待の事実をまとめた資料を送り、ある者は虐待していた神父のリストを送っていた。
けれど、それは小さな記事にとどまり、取材はされなかった。
新聞社も児童虐待が行われている事を知りながら、それを重要視する事は無かったのだと暗に表示されます。
カソリック教会は事件を隠し、被害者には示談にするように説得し、裁判所の記録も封印してしまう。もちろんその行為は悪以外の何者でもない。
しかし教会側がスキャンダルを恐れて、その事実を隠した理由は判る。
けれど同じ教会に通う近所の人たちや、その被害を届けた警察、裁判所、そのいずれもが事件を隠蔽する事に手を貸していた、それが本当に恐ろしい事だと思う。
アメリカ社会の中で、教会がそれだけ大きな存在であるという証しでもあるのだろう。
多くの人たちが関わっているのだから、もっとマスコミに訴えたり、ネット上でアピールしたり(記事が書かれたのは2002年なのですでにインターネットは充分普及していた)する人たちが現れなかった事も不思議。それだけ宗教に関する事は禁忌なのかな。
チームが賢明に取材を続ける合間合間に、リチャード・サイブという心理療法士との電話が混じりまります。児童虐待をしていた神父の心理療法を担当した人です。この人の語る言葉が結構物語の中で重要なものが多かった。・・・にもかかわらず声のみの出演。でも電話の声だけで姿形という余分な情報がないから、余計その話の内容が響いたのかも。
何故、神父に小児性愛者が多いのか?カトリックは聖職者の妻帯を禁じているから。(プロテスタントは妻帯OKなので、殆どの牧師さんは結婚しています)
カトリック教会全体の中の小児性愛者の割合は、6%と予想する
この6%という数字はこの心理療法士の予測です。6%という数字だけを切り出してみればそれほど多くないように感じられます。けれど当時ボストン在住の聖職者の数は1,500人、スポットライトのチームが見つけ出した児童虐待をしていた神父の数は87名、ほぼ予測通りの結果になりました。
この映画はカトリック教会のスキャンダルを描きながら、けれども宗教の問題にはいっさい触れていない所が特徴的。信仰の問題についても、キャストの個々の問題としてとらえてその是非は問わず、あくまでもさりげない会話や状況描写で表現します。キャストはそれぞれに熱心ではないけれど、信仰を持っていて、その信仰はこの事件によってどうしてもゆらいでしまいます。
前出の心理療法士は今も信仰をもって教会に通っていると語る。彼はいいます。カトリック教会は人の作り出した組織だ。人の作り出す物には問題が存在する。
宗教や信仰の問題をこの事件と切り離した事。それがこの映画がアカデミー作品賞を受賞し、全米でヒットした理由の一つだと思います。
現実の事件を扱った骨太な映画、ビデオ化されてからでもいいので、ご視聴をお勧めします。